漆工芸における装飾法は蒔絵や螺鈿がありますが、そのデザインにいつもとても多くの時間を費やします。頭の中で考えたことをスケッチブックに描き、時間を置いてさらに思い付いたことをどんどん付加しながら描き、デザインを発展させていきます。しかし、頭に思い描いたことをすべてスケッチブックに記録することはできません。なぜなら思いついても、スケッチブックに描いているうちに頭の中の映像が薄れていってしまうからです。人間の脳は、僕の脳というべきかもしれませんが、ほんの数分の間も頭の中にある映像を完全な形で保存しておくことはできないようです。だからこそ、可能な限りデザインを絵にしておくことが非常に重要なのですが。
将棋では脳内将棋というものがあります。実際の盤駒を用いず、脳内に盤面を映し出して対局をすることです。長男は将棋を始めてまだ2年弱でそれほど強くもありませんが、将棋の実力とは関係なく、ほぼ終局まで脳内将棋が出来るようです。普段将棋の話をしていると、いつも符号でかなりの手数を言うので、驚かされることがあります。
でも良く考えたら、自分も普段から漆器の完成図は頭の中で描くような訓練はしています。いつもスケッチブックを持っているわけではないので、頭で考えることが多く、それにはかなり慣れています。ただ、漆の場合は頭の中でどれだけクリアに映像が描けていてもそれを証明する手段がありませんが、多分、普通の人が創造するよりかなりクリアに映像が浮かんでいるものと思います。例えば、円が四方接するように規則的に並べた時の隙間の形は普通の人でも頭に浮かべることは出来ると思いますが、トランプのスペードを四方接するように並べた時の隙間の形を思い浮かべるのは難しいのではないでしょうか。さらにその間にクローバーが交互に入って来たら、またさらに難易度は上がります。でもいつも頭の中でこんなことばかりしていたら、たいして難しいことではありません。さらに複雑な文様を金や黒で色分けして、頭の中で漆の器物に貼り付けます。要素の多い模様になると、非常に集中しないと出来ませんが。
頭の中で考えるのが階段を上ることだとしたら、スケッチブックにそれを記録するのは階段の踊り場で小休止をするょうなものでしょうか。踊り場に辿り着かなければ、明日はまた一番下から登り始めないといけません。人は総じて面倒くさがりなので、なるべく絵を描いたりしたくはないし、もっと言ったら、考えるのも嫌なものです。しかし漆の場合は一つの作品をつくる仕事量からして、作品の価値に占めるデザインの比重は非常に大きいです。作ることだけではなく、考えることも怠ることは出来ません。
40歳を過ぎたあたりから頭の中だけで考える力が落ちてきたように感じます。初めは、最近人の顔と名前が覚えられないなぁ、というくらいでしたが、徐々に頭の中の映像の鮮明さが落ちてきました。当初は焦りを感じましたが、今は少し慣れてきました。考えることより、こまめにスケッチすることにシフトしていけばいいだけですから。また若い頃より書籍や資料を買う余裕もあるので、やり方を自分に合わせて変えていくことが出来るようにもなってきています。
自分の性格からして、何事も自分の限界までやってしまうので、自分の衰えにも早く気付いてしまいます。しかも漆は過去の作品がちゃんと残ってしまうので、過去の自分との比較において主観的な言い逃れは出来ません。過去の作品を見ることが無ければ、いつも今が最盛期だと勘違いしてしまうだろうと思います。感覚が鈍くなれば、鈍くなっていることすら気付かないでしょうから。そういう面では、まだ自分には救いがあるのかもしれません。いずれにしろ、良い作品を作るためには、すでに悠長なことは言っていられない年齢になりました。