僕はあまり人には言いませんが、大学は現代美術の学科を卒業しました。真面目に勉強しかったのは自他ともに認めるところではあるのですが、大学生というエネルギーにあふれた時期に、少なくない時間をそのような環境に身を置いたことは事実です。自主的な制作などはほぼ全くせず、ただただ課題をこなし単位を取り何とか卒業しただけですが、その間の有り余る時間を読書に費やしたので、関連書籍の読書量は並の大学生よりは多かったかもしれません。
従来の美術が美しいものをただただ職人的に作り上げる技能としたら、現代美術は大まかに言うと、ある考えに基づいて世の中を切り取る知的作業だと考えています。あらゆるジャンルにおいて言えることかもしれませんが、今までにない視点で事象を捉えることで大きな発見に辿り着くことは多いですが、芸術においてもそれは同じです。新たな視点や切り口は人を感動させ、持続的な興味の対象にもなりえます。従来そのような知的活動の表現手段は言語によるものでしたが、20世紀の初頭に、知的表現を視覚芸術と結び付けた一連の作品が生み出されました。それらとそれらから派生したものを現代美術と呼んでいると僕は理解しています。
現代美術の作品は基本的に消耗されるものだと思っています。作品と出会ったときに鑑賞者の内面に生まれる感情や感覚がありますが、そのような“出来事”を起こさせることが、作品の主旨であることが多いからです。作品自体に価値があるのではなく、その起こる“出来事”の大きさに価値があるのだとすれば、2度目以降の鑑賞時には圧倒的に価値が小さくなっているからです。 漆工芸を含む従来の美術はどうでしょうか? それらは人間が根源的に持つ美しいと感じる感情に価値の根拠を持っているので、価値が消耗されることがほとんどありません。ダイヤモンドやエメラルド、金や銀の価値が落ちないのは、人間自体ががそれらを美しいと思うように出来ているからです。人間がなぜ美しいものを欲しいと思うのか(或いは、欲しいものを美しいと言っているのか?)は分かりませんが、そのようなものは時代や露出による価値の目減りはありません。つまり、作品の持つ価値という観点ではほとんど消耗されることが無いと言えます。
もう20年以上前のことですが、漆の世界に入って思ったのは、漆工芸界の人の現代美術への劣等感です。漆工芸の世界でオブジェと言われているローカル文化がありますが、デュシャンが提唱したオブジェとは似て非なるものです。オブジェという名称もそうですが、作品自体が今までのアートに対するアンチテーゼとして生み出されたものです。デュシャンはアートを“知”の表現に変えたという意味でも巨人ですが、同時に“知”の巨人でもあります。漆工芸家が偉そうに自分の作品をオブジェだとかいう前に、そのような美術の歴史的経緯を知るべきで、そのような知性の欠落から来る自信の無さが漆でオブジェを作らせてしまうのではないかと思いました。
手技が必須の漆工芸のような仕事は、当然ながら知的な要素はそう多くありません。ただ必要とされる能力、例えば、自分の身体を正確にコントロールする運動能力、美しさを創出する美的感覚、モノを作る上での知識や研究能力、また芸術活動を経済活動に変換する思考力、根気や判断力など、それらは多種多様で総合的です。そこに誇りを持てないのは情けないことだと思った記憶があります。
僕自身が漆工芸の道に足を踏み入れた時は、すでにそのような知識や見識を持っていました。そうでありながら、日本の伝統的な美術は西洋の美術に劣るものではないと確信していました。西洋意美術の潮流としての現代美術を学ぶ人間は、多くがそのカウンターバランスとして日本美術を見直すことをします。これは美術を学ぶという観点においても非常に合理的です。なぜならその差を炙り出すことで芸術の本質が見えてくるからです。
その時まだ20歳そこそこの現代美術を学んでいる橋本千毅は、いろいろ考えた結果、純粋な日本美術の延長上に何かすごいものが隠れているのではないかということに気付きました。今考えれば当然ですが、これだけ豊かな国土にこれだけの人間が住み、2000年以上も同一王朝が続いたのだから、文明として優れていないわけがありません。その中でも最も日本らしいもの、言い換えれば、最も高度な美意識、最も高度なモノづくりの知識、最も大きな発展性、それらを持ったものが漆工芸なのではないかということに。漆という液体は用途も広く、また表現力もある素材です。それゆえに日本の文化を根底から支えてきたとも言えます。西洋のアートの潮流に無理に乗ろうとする必要は全くなく、背伸びして知的レベルを誤魔化す必要もなく、ただただ愚直に漆を使って美しいものを作り上げていくことに自分の持つエネルギーと美意識と知性を注ぎ込めば、何かとても良いものが出来るのではないかと考え始めるようになったのです。
このあたりで、大学3年生くらいでしょうか。自分探しを始めた僕はこんな感じのことを考えながら、残り1年以上の大学生活を過ごすことになります。続きは次回に。