僕が漆に辿り着くまで、その3。

 

大学ではいつも図書館にいました。筑波大学の体芸(体育・芸術学群)図書館は芸術関連の本が10万冊程度ありました。これはかなりの量で、さすが東京教育大を前身とする大学ではあります。また、当時は今のようにネットが普及しておらず、芸術系のあらゆる雑誌の閲覧が出来るというのも非常に大きなメリットでした。また、隠れた楽しみとして、新聞を読むことがありました。本館では新聞を読む人が多くてなかなか読めなかったのですが、体芸図書館は僕ともう一人か二人くらいしかおらず、新聞コーナーにいる人が毎日同じなので、顔を覚えてしまうくらいで、読み放題でした。大学までは読書をあまりしてきた方ではなく、読む速さは遅い方でしたが、毎日図書館で新聞や雑誌を読むうちに、文字を読む力が異常に発達し、主要な新聞には毎日ほとんど目を通すくらいのスピードで読めるようになりました。当時の国会議員の名前や相撲の力士の名前などはほとんど覚えてしまったような気がします。
芸術の様々なジャンルの本を読みましたが、今思うと印象に残っているのは建築でしょうか。日本の建築は木造なので、火災などで焼失することが多く、規模が大きいものはそれほど多く残っていませんが、西洋やイスラム圏はとんでもないような規模の建築が現在も残っています。大きさもさることながら、装飾も凄まじいです。学生時代フランスに旅行してそれらの建築群を見てきましたが、とても大きな感銘を受けました。絵画、彫刻、家具などすべてが建築のための要素であり、建築とはそのすべてを統括するものであるという認識を持ちました。
19世紀は世界の文化が初めて本格的にシャフルさせた面白い時期だと思います。その時期からモダニズム建築が世界を席巻する前の短い期間が僕は好きです。好きなものを好きなように見ていただけなので、歴史的背景や流れはちゃんと理解していませんが、かえって自分探しにはその方が良かった思います。心に突き刺さってきたのは、フランク・ロイド・ライトやブルーノ・タウトやオットー・ワーグナーのような建築家です。特にオットー・ワーグナーの初期のウィーン分離派時代の作品が好きした。クリムトが壁画を手掛けていたりというのもあるのですが、建築の装飾性という意味でとても美しいバランスを持った作品と思っています。
日本ではその頃は明治から大正、昭和の初期です。外貨獲得手段としての美術が国策で擁護推進されたいたので、作り手にとっては良い時代だったかもしれません。明治の美術界は今から見てもとんでもない能力を持った人たちの集団です。当時は今ほど明治の工芸に光が当たっていなかったのですが、僕は当時から明治の工芸が好きでした。自分がしたいものをというより自分が向いているものって何だろうと考えたとき、「モノづくり」しか思いつきませんでした。「用」だけでも「美」だけでもなく、平面だけでも立体だけでもないもの、自分は何かに特化するのではなく、いろんな要素を根気良く上手くまとめていくのが向いているのではないだろうかと思うようになってきました。自分は美術的な能力は一番ではないし、もちろん思考力も一番ではありません。ただこの2つの合算なら結構いいところまで行けるかも?しかもそういうものが好きだし。だったら工芸しかないな。そんな感じでしょうか。

大学の課題はソツなくこなしていました。2年生までにかなり詰め込んだので、3年生からはほとんど専門科目以外の受講は必要ありませんでした。卒業するだけなら単位の取得は問題ありませんでした。
やりたいことは大体分かってきました。あとは具体的に何を選ぶかというだけです。このあたりで、大学生活はあと一年というところになっていました。

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