毎日、良いことも悪いこともありますが、気分転換には本屋に行くことが多いです。目的があって買う本はほとんどネットで買いますが、本屋に行く時は特に買いたい本が無い時です。世の中にはこんな本があるのかとか、今こういうことが流行っているのかとか何となく感じて、その時必要だと思うものを買って読むようにしています。
最近は大型の本屋が多いので、店内も大きな書架にたくさんの本が並んでいます。こんなにたくさんの本があってもまだ足りないほど世の中には有用な情報があり、自分が知っていることはそのほんの一部だけだと思うと軽い眩暈を覚えました。例えばここにある本を全部読んで、桁外れに多くのことを知ったとしたら、一体その人は何を欲するのでしょうか。そして何を作り出すのでしょうか。きっと何か違うものが見えてくるかもとも思えるし、今と変わらないかもしれないとも思えます。
人間が生み出すものって人間にとってちょうどいい、というのがあります。工芸のような世界では、人間の身体の大きさや眼の解像度などの人間の生理的な能力に、作品の大きさやデザインの複雑さ細かさを合わせないといけません。度が過ぎると人間が美しいと感じることが出来なくなるからです。ただ、それとは逆に、仕事量が多ければ付加される価値も大きくなるということもあり、僕のような仕事をする人間にとって、それは大きなジレンマです。
おそらく、あらゆるジャンルで言えることだと思いますが、問題とされていることのレベルというのは、人間にとってちょうど良いレベルに過ぎないのではないでしょうか。人間の生理機能をベースに価値が決まる芸術のようなものとは多少違うかもしれませんが、恐らく自然科学の分野で問題とされていることも、人間の知的レベルで解決できそうなちょうどいいレベルのもなのではないでしょうか。
人間に理解不能な領域は、人間は探求するべきテーマにはしないし、テーマにも出来ないのだと思います。近い将来人間をはるかに超越したAIが出現し、そのAIが問題を解決しても人間にはそれが理解できないという状況が生まれるのではないかと思います。それほど遠くないことだとは思いますが、そのような局面に立たされた時、人や社会がどのようになっていくか非常に興味深いです。