やっと、いろいろなことが少しずつ片付いてきました。随分長い間、半年ぐらいだと思うけど、ほとんど仕事だけの日々を過ごしました。海外と国内の展覧会が同時にあり、展示用の作品が必要になったからです。いつものことでもあるのだけれど、今回は猛暑の所為もあってか体力的につらい期間でした。庭もジャングルのようになり、家庭も何もかも顧みることなく、ただ時計が時を刻むように、緩急のない同じ密度の時間を過ごしました。
私の作品は、ほとんど出来てるけど仕上がりまであとちょっとというところからが長いので、精神的な粘り強さが必要だし、終わりに近づくほど仕事が小刻みになるので、生活も不規則になってきます。それでも作品には妥協したくないので、体が限界に達するギリギリまではやってしまいます。シンドイなと思いながらやっていますが、良く考えてみると、自分の好きなことをやっていて、それで社会に自分の居場所があるというだけでも幸せだとも思えます。夜仕事をしていると電車の音がとてもクリアに聞こえてきます。家の近くに線路が急に曲がるところがあり、そこを長い貨物が通過するときは映画の効果音のような心地よい電車の音が聞こえます。なぜかは分かりませんが、電車の音とはじめて漆をするために富山に来た時の記憶がリンクしており、意図せず初心に帰ることができます。
大学を出た時は、人生全部リセットして田舎で漆塗りでもやってのんびり暮らそうと思っていたのですが、なぜかいつの間にか加速して現在のような生活になりました。今は東京から富山に向かう夜行列車はなくなったそうですが、自分には30年前にその列車に乗った記憶が鮮明に残っています。寒い夜でしたが、両親が駅まで送ってくれました。その時は自分のことしか考えていませんでしたが、今は私にも子供がおり、親の気持ちも多少理解できるようになりました。漆をやらない人生も、給料取りとして過ごす人生もあったと思います。ただ、いずれにしろ、自分は人生が加速していくタイプなのだと思います。だとしたら、好きなことをやっている今の自分が最良の選択だったと言えます。子供を見ていると親の思った通りにはならないなと思います。でも、それでいいと思います。いずれ好きなことを見つけ、それに情熱を注げれば、人はそれだけで幸せにはなれますから。
30年前、父親は「それじゃ、元気でな。」としか言いませんでした。深く考えて、それくらいしか言う意味が無いと思ったか、何も考えていなかったのか。電車の音を聞きながら、同じ場面だったら自分は息子に何と言うだろうとか、ふと考えます。
明日からは少し庭の手入れでもして外の空気を吸いたいと思います。代謝が落ちて少し太ってしまったので、散歩したりして運動兼気分転換をしようと思います。