茶器について

 

茶器のプロポーションはいつも悩まされます。棗の形は模様がのり難いので、いつも筒型を考えるのですが、蓋と身をどんな比率にするか、立ち上がりにどれだけの勾配をつけるかなど考えだすと良く分からなくなってきます。中次ばかり集め出して10年以上たちますが、桃山から江戸初期、中期、後期、明治、大正、昭和と名だたる名工のものを含め、かなりの数を揃えました。シンプルな形だからこそ作者の考え方がダイレクトに出やすいのが中次です。また、名工の誉れが高い人でも、必ずしも古作に対しての知識があるとは限らず、わずかながら形態に“スキ”が生じてしまっているものもあります。何が正しいというのは断言できないにしろ、知識が無かったというのははっきり分かり、特に昭和の作家にはそのような人がいます。
私も茶道についてそんなに詳しくもなく、自分が関わっている分野が重なっている部分だけしか知りませんが、中次に関して言えることは、単に気密性の高い容器を目指した、ということです。古いのもは器体が分厚く、きつめ(狂いを差し引いても)に出来ています。また底面の隙は非常に薄いです。細かい説明は省きますが、とにかく機能重視です。

大体、そのようなことを理解していれば、あとは好きに作ってもいいとは思うのですが、いずれにしろ綺麗な形であって欲しいので、わずかな違いを悩みます。悩んで悩んで動かす値が1㎜以下。でも時間はどんどん過ぎて行く。
今日も含めて、そんな日もあります。

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